世界の文字と記号の大図鑑

4327377368ヨハネス・ベルガーハウゼン, シリ・ポアランガン『世界の文字と記号の大図鑑 ー Unicode 6.0の全グリフ』(研究社, 2014)

Unicodeの文字の一覧。本家Unicode, Inc.のCodeCharts.pdfとの一番の違いは、各文字がどのフォントで印刷されているかがすぐわかるようになっていることでしょうか。使われているフォントの一揃いが欲しいです。

紹介文には「ユニコード6.0に登録された10万9242文字のすべて」とあるので、本書で扱っているのは、タイトルにある「文字と記号」や副題にある「グリフ」ではなく、「図形文字(graphic characters)」だと思いますが(参照)、図形文字なのに載ってないものや、図形文字ではないのに載っているものがあるのがちょっと気になりました。(いずれも印刷はできません。Unicodeの図形文字の定義が変だということもあります。)

原著はデコードユニコード

Unicodeのすべての文字を1回ずつ使って絵を描く

文字の並びで表現された絵は一般にアスキーアートと呼ばれます。その名前からは、使える文字がASCII文字に制限されているように思えますが、実際はそうではなく、なんでもありです。「MS Pゴシック」に含まれる文字を使うのが伝統でしょうか。

先日数えてみたように、Unicode 6.0にはGraphic Characterが109242個あります(参照:Unicodeのすべての文字を1ページで)。使える文字をここまで広げると、いわゆるアスキーアートのように文字の形を利用するのではなく、文字の濃さを利用して絵を描けます。(Graphic Charactersに印刷できない文字も含まれていることは、ここでは無視します。)

せっかくこれだけの文字があるので、それぞれの文字は1回しか使えないという制約を入れましょう。正方形のキャンバスなら、331 × 331のグリッド上に文字を並べることになります(331 x 331 = 109561は109242以上の最小の平方数)。ちょっと文字が足りないので、その分は半角スペースで補うことにします(109561 – 109242 = 319個)。

こんな絵が描けます(クリックで拡大、PDF 23MB)。

すぐ役に立つ●●はすぐ役に立たなくなる

これは私の指導原理の一つです。

先日大学の先生と話していて、「そういうことは戦前から言われていたらしいですね」と言われました。この言葉の起源として、そのとき私の頭に浮かんだのは、先日「東大の教養、東工大の教養」で紹介した、池上彰『池上彰の教養のススメ』(日経BP社, 2014)の次のような記述でした。

慶應義塾大学の中興の祖といわれ、今上天皇にご進講した小泉信三は、かつて学問についてこんな言葉を残しています。

「すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる」(p.3)

橋本武さんもそういうことを言っていた気がしますが、『銀の匙』授業が始まったのは戦後なので、小泉さんのほうが古そうです。(参考:奇跡の教室—エチ先生と『銀の匙』の子どもたち

4004150876というわけで小泉信三『読書論』(引用文献リストあり・索引なし)を読んでみたのですが、ちょっと想像と違うことが書かれていました。

先年私が慶応義塾長夜任中、今日の同大学工学部が始めて藤原工業大学として創立せられ、私は一時その学長を兼任したことがある。時の学部長は工学博士谷村豊太郎氏であったが、識見ある同氏は、よく世間の実業家方面から申し出される、すぐ役に立つ人間を造ってもらいたいという註文に対し、すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる人間だ、と応酬して、同大学において基本的理論をしっかり教え込む方針を確立した。すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなるとは至言である。同様の意味において、すぐ役に立つ本はすぐ役に立たなくなる本であるといえる。(p.12)

もの・人間・本と、すぐ役に立ってもらいたいもののバリエーションはありますが、とりあえず、小泉信三さんが起源ということではなさそうです。

東大入試問題に隠されたメッセージを読み解く

4819112015大島保彦『東大入試問題に隠されたメッセージを読み解く』(産経新聞出版, 2013)(参考文献リストなし・索引なし)

東大の入試問題には、どういう学生に入学して欲しいかはもちろん、社会へのメッセージも込められているのだというお話。そのメッセージを読み解く余裕は受験生だった当時の私にはなかったが、今なら納得できるところもある。

どういうメッセージが込められているのかは本書を読んでもらうことにして、「社会へのメッセージを込める」という姿勢を今後も続けられるかというあたりが気になった。

東大の入試問題を見て、勉強のおもしろさがわかった若者の多くはアカデミズムに行ってしまっているのだと思います。そういった若者がアカデミズムに行き、実社会に出ないところが、「東大卒が期待に応えていない」という批判になっているのかもしれません。(p.187)

アカデミズムが実社会に入るかどうかはともかく、東大生の一部がアカデミズムに行くのは確かだろう。では東大生のレベルはどうなっているかというと、

東大を目指したいと思った生徒が「東大に受かりたい」という形(目的指向型)の勉強を必死にすれば、今は、東大に合格することはできると思います。東大の敷居は20年前に比べると、間違いなく低くなっているからです。(p.182)

敷居が低くなってバラツキが大きくなることのメリットもあるだろうが、アカデミズムに行くものの平均レベルが下がるのはまずい。しばらくするとその人たちがメッセージを発する側になるのだが、そのメッセージの質が下がれば受験生のレベルが下がり、悪循環が始まるからだ。

ここ数年、「東大の入試問題も劣化しているのかもしれない」と感じることがあります。(p.187)

これが悪循環の徴候ではなく、一時的なもの(あるいは著者の気のせい)であったほしいものだ。

かけ算には順序があるのか

4000295802小学校で「6人に4個ずつミカンを配ると全部で何個か」という問いに「6×4=24」と書くと不正解にされることがあるらしい。「4×6=24」のように、(1つ分の数)×(いくつ分の数)や単価×個数という順序で書くことが大切なのだという。

私の周りでのサンプル調査(少数)では、そういう目に遭って算数が嫌いになった人(教師を訴えませんように)、そういうことを言われたのが先生をバカにする一因になった人がいた。私自身はそういう目に遭ったことはないが、どちらが正解なのかは何回聞いても憶えられない(一応博士なのだが)。

この話についてまじめに調べてまとめられたのが高橋誠『かけ算には順序があるのか』(岩波書店, 2011)である。(参考文献リストあり・索引なし)

順序を強制することが疑問なのは、「1つ分の数」(変な日本語。コメント欄を参照)が考え方次第でどうにでもなるからだ。冒頭の例なら、6個/回×4回とか(トランプを配るように)、6個/(個/人)×4個/人などと考えてもよい(解釈は難しいが)。(p.42)

本書によれば、文科省は順序があるという指導もどちらでもよいという指導もしていない(p.2)、算数の教科書を発行している出版社の「教師用指導書」(≠検定教科書)には順序を教えるようにと書かれているらしい(p.3)。

危険なのは公立学校だけではない。「算数教育に関わる各団体は,かけ算の順序についてどのような見解を出していますか?」によれば、Z会は「順序」に否定的なのに対して、進研ゼミは「順序」に肯定的なようだ。これだけ見れば、通信教育は進研ゼミよりZ会を勧めたい。私立学校もいろいろあるだろう(コメント欄を参照)。

教育には間違いが無いこと、たとえ間違いがあってもそれがすぐに正されることが理想だが、現実はそうではない。この現実への対処法を「教育」しようとする者を信じてはいけない。

この問題については,ファインマン博士のこの文章が結論。これ以上,特に議論する必要はない。議論したい方はハッシュタグ#掛算で。

問題の解決法(原文ママ)を求めるのにいちばんよい方法とは何でしょう。答えは,うまくいくならどんな方法でもよい,です。算数の教科書に求められるのは,問題を解く特定の方法を教えることではなく,むしろ,そもそもの問題が何かを教え,答えを求める方法を,できるだけ自由に考えさせることです。しかしもちろん,何が正しい答えかについては,自由が入り込む余地はありません。たとえば17と15を加える(17と15の和を導き出す方法)には,多くのやり方があるでしょう。しかし正しい答えは一つしかありません。(『ファインマンの手紙』p.635)

4480096302追記:志村五郎先生曰く、

3トンの砂を積んだトラックが5台ある。砂は全部で何トンか。この問題に対して3×5=15または5×3=15として15トンと言えばよいが、どうやら3×5と5×3のどちらか一方が正しいやり方で他方は正しくないとする教え方があるらしい。私はどちらでもよいと思っているのでどちらが正しいとされているのか知らない。

(中略)

結局どちらでもよいのにどちらが正しいかを考えさせるのは余計なあるいは無駄なことををかんがえさせているわけである。だからそんなことはやめるべきである。(「掛け算の順序」『数学をいかに教えるか』p.47)