パーフェクト・セオリー

4140816376ペドロ・G・フェレイラ『パーフェクト・セオリー 一般相対性理論に挑む天才たちの100年』(NHK出版, 2014)(参考文献リストあり・索引なし)

アインシュタインの一般相対論は、宇宙の姿を描いたり、ブラックホールを予言したりと、輝かしい成果を上げてきた。しかし、量子論との統合はできていないし、理論を観測に合わせるための暗黒物質や宇宙定数も、よくわからない事態が続いている。そういう理論の100年を、一般向けに丁寧に解説している(一部神話の領域)。かつて『ホーキング、宇宙を語る』は、出てくる数式を「E=mc2」だけにしてベストセラーになったが、本書に出てくる数式は「2+2=4」のみ(p.113)。

一般相対性理論の黄金時代(60年代から70年代)の終わりに出版された対照的な2冊と紹介されたタイトルがなつかしい(p.299)。

著者自身も登場している本書の副題として、「一般相対性理論に挑む天才たちの100年」はどうかと思う。

科学を語るとはどういうことか

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東大で物理学を研究する須藤靖さんと、京大で科学哲学を研究する伊勢田哲治さんの対談をまとめた『科学を語るとはどういうことか』は、知的トレーニングを積み重ねたはずの者同士でも、分野が違えばほとんどわかりあえないことを示す、貴重な記録である。

須藤 すでに何度も同じことを述べてきたのですが、再度明確に言うならば「明日物理法則が変わる可能性は決して否定できるものではないが、経験的にも美的感覚から言ってもその可能性は著しく低い。したがって、明日もまた今までと同じ物理法則が成立していると考えることが最も合理的である」です。

伊勢田 ヒュームが言っているのは、経験的に確率が低い、というのは帰納の正当化に帰納を使う議論になっていて単なる循環論法だし、美的感覚など何の根拠にもならないということなんですけどね。だから、結論も、「したがって合理的である」というよりも、「にもかかわらず合理的である」なんですけどね。(p.253)

全体を通して、須藤さんの、読んでいるこちらがどきっとするような、かなり感情的な科学哲学批判に、伊勢田さんがとても冷静に対応しているのが印象的だった。

伊勢田 須藤さんが一方で科学の一番基礎の部分である帰納を認めるかどうかというのが完全に趣味の問題だということも認めつつ、他方でそれを「合理的」「健全」という言い方をされていて、中立的な観点から見てもその選択が支持できるものだ、と思っていらっしゃるようなニュアンスを感じるんですよね。そのずれにちょっと「あれっ」と思わざるを得ない。でもこのずれは須藤さんだけのものではなく、科学哲学が登場する前から哲学者がこの三〇〇年間格闘してきたまさにその問題でもあるんですよね。(p.262)

「合理的」を辞書で引くと、「①論理にかなっているさま。②目的に合っていて無駄のないさま。」(大辞林)という語義が載っている。伊勢田さんの「合理的」は①だが、須藤さんの「合理的」は②なのかもしれない。

「科学哲学は鳥類学者が鳥の役に立つ程度にしか科学者の役に立たない」というファインマンの言葉が繰り返されるが、「科学とはどういう試みなのか」ということを、できるかぎり厳密に深く考えようとする人たちがいるのは、鳥類学者が鳥の役に立つ程度より、はるかに人類の役に立つと思う。(少なくとも私は大いに楽しませてもらった。)

科学哲学についてのバランスのとれた初学者向けの解説書として、以下の3冊が紹介されている。

この本には索引は付いていない。

金環日蝕にあわせて『天地明察』が文庫化

2012年5月21日は日本のかなり広い範囲で金環日蝕が観られることになっています。

国立天文台によれば、

日本の陸地に限ると、金環日食が観察できるのは、1987年9月23日に沖縄本島などで見られた金環日食以来のことです。次回も2030年6月1日に北海道で見られる金環日食まで、18年間起こりません。非常に珍しい現象と言えるでしょう。(2012年5月21日に起こる日食の概要

ということです。

こういうことがちゃんと計算できるのがすごいところですが、それでもまだ人知の及ばない部分があり、金環日蝕が見える地域と見えない地域の境界は、日本とNASAでは違う予測になっているようです。

兵庫県のJR西明石駅周辺ではNASAの予測だと金環日食として見えるが、国立天文台の予測だとドーナツ状ではない部分日食となるという。(金環日食めぐる日米対決に注目! 国立天文台とNASAで「限界線」の予想で食い違い ニコニコニュース

人類はずいぶん古くから、正しい暦を作るために、あるいは知的好奇心から、天体の運動を正確に観測し、予測することに膨大な労力を注いできました。そういう歴史の中でも、皆既日蝕や金環日蝕はいつも変わらず最大級の注目を集めてきたことでしょう。太陽系内の比較的大きな天体の運行についてはだいたいわかってきた現代においても、そのハイライトに関してまだわからない部分があり、自分たちの予測が当たることを(その余地があるかどうかはともかくとして)祈っているであろう科学者がいることを思うと、胸が熱くなります。(わからないのは「太陽の大きさ」という、暦にはあまり影響の無いことではありますが。)

4041003180最近文庫化した、冲方丁『天地明察』(角川書店)にも、暦の優劣の決着を、蝕の予測の当たり外れでつけるという話が綴られています。秋には映画化も控えているようなので、内容を細かく紹介することはしませんが、この小説が多くの支持を獲得しているのは、暦の作成という、たいていの人は考えたくもないような細かいことを、人生をかけて追求すること、それが単なる知的好奇心だけからなるのではなく、地位・名誉・愛など、いわゆる人間らしいものと切り離さずにうまく描かれているからではないでしょうか。

4041002923『天地明察』は、暦・数学・囲碁が3本柱になっていて、どれか一つでも興味がある人は楽しめること間違いなしの小説なのですが、小学生だったときにインドネシア(?)の日蝕を観に行くことをかなりまじめに検討していたり(実現はしなかったけれど)、一応理学部天文学科卒で、プログラミング言語のカレンダーを解説するライターであったり(例:PHPにおける日付と時刻の混乱1秒にかける思いWebアプリの入門書にさえも日時処理の項を書いてます)、『月刊 大学への数学』に1年間欠かさず名前を載せた「遅れてきた数学少年」だったり、NHK囲碁トーナメントの対局をほとんどすべて観ている囲碁好きだったりする私は、人の3倍くらい楽しんでいるのではないかと思っています(ブログまで書いて)。

話を明日の勝負に戻すと、金環日食限界線共同観測プロジェクトなどというものもできて、ウェブと位置情報端末が普及した現代ならではの楽しみ方ができるようになっているのはさすがです。

0521702380数学とプログラミングが好きな人は、こんなところにも人生の楽しみを見いだせるかもしれません。

Nachum Dershowitz, Edward M. Reingold『Calendrical Calculations』(Cambridge University Press, 第3版, 2007)

それが、先人がうらやむような人生の楽しみにつながるかどうか、そのあたりも勝負でしょうね。

極道(ヤクザ)な月

4344407865天藤湘子『極道(ヤクザ)な月』(幻冬舎, 2006)

英訳「Yakuza Moon」の出版を期に行われた外国人記者クラブでの会見に行ってきた(誘われたのであって、追っかけではない)。

「人生を一新する覚悟として全身に入れ墨を入れる」ということをまったく理解できない外国人特派員の質問に、ビシッと答えていたのはさすが。

「好きだからしょうがない」ではなく「好きだけどしょうがない」で埋め尽くされた半生。根本的なところで、「幸福」とか「愛」とはまったく違うものを軸にして生きているように見える。それは何なんだろう。

背中だけを見て育った。一度でいいから振り向いて欲しかった。こっちを向いてくれない寂しさで胸が張り裂けそうだった。怖かったのは殴られることではなく、愛されているという確信が持てない自分自身だった。(p.229)

「裏の世界」への好奇心に駆られていったわけだけど、「世界」を知るのと「人」を知るのは全然違うことだなあと、会見後に話を聞きながら思った。

「その全身の入れ墨を拝んでみたい」という期待に応えようとする企画は断ったらしい。まあ、そうだよな。

別の話:入れ墨の理由を聞いて、呉智英(読みにくい名前)さんが最近言ってたことを思い出したりもしたのだけれど、結局それは平均の話でしかないんだよねえ、あたりまえだけど。

暴走万葉仮名の女子学生が多い大学は、あのー、偏差値がね、ちょっと、あれなのですね

さらに別の話:入れ墨といえば、 Science Tattooなんてのもあった。

映像化

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量子進化

量子進化―脳と進化の謎を量子力学が解く!ジョンジョー マクファデン Johnjoe McFadden 斎藤 成也 十河 誠治 十河 和代
共立出版 (2003/09)

最初の自己複製子は、逆ゼノン効果に導かれながら膨大な可能性を平行して試す量子的重ね合わせと、観測またはデコヒーレンスによって作られ、ダーウィンのメカニズムに引き継がれることになったという説

これが正しいのなら、ほとんど人為的な仮定をおかずに生命を作ろうという研究者は、膨大に枝分かれしたどこかの宇宙でのみ栄誉を受けることになるのかもしれない

イーガン『万物理論』に関連する話、ウィーラーの「参加型の宇宙」が紹介されている(p.269)

「参加型の宇宙」では、宇宙の実在性が、実在するという意識をもつ観測者に依存しており、しかもそれは今日だけではなく、ビッグバンにまで遡るというのである!

参考文献

Quantum Theory and Measurement (Princeton Series in Physics)