小学校で「6人に4個ずつミカンを配ると全部で何個か」という問いに「6×4=24」と書くと不正解にされることがあるらしい。「4×6=24」のように、(1つ分の数)×(いくつ分の数)や単価×個数という順序で書くことが大切なのだという。
私の周りでのサンプル調査(少数)では、そういう目に遭って算数が嫌いになった人(教師を訴えませんように)、そういうことを言われたのが先生をバカにする一因になった人がいた。私自身はそういう目に遭ったことはないが、どちらが正解なのかは何回聞いても憶えられない(一応博士なのだが)。
この話についてまじめに調べてまとめられたのが高橋誠『かけ算には順序があるのか』(岩波書店, 2011)である。(参考文献リストあり・索引なし)
順序を強制することが疑問なのは、「1つ分の数」(変な日本語。コメント欄を参照)が考え方次第でどうにでもなるからだ。冒頭の例なら、6個/回×4回とか(トランプを配るように)、6個/(個/人)×4個/人などと考えてもよい(解釈は難しいが)。(p.42)
本書によれば、文科省は順序があるという指導もどちらでもよいという指導もしていない(p.2)、算数の教科書を発行している出版社の「教師用指導書」(≠検定教科書)には順序を教えるようにと書かれているらしい(p.3)。
危険なのは公立学校だけではない。「算数教育に関わる各団体は,かけ算の順序についてどのような見解を出していますか?」によれば、Z会は「順序」に否定的なのに対して、進研ゼミは「順序」に肯定的なようだ。これだけ見れば、通信教育は進研ゼミよりZ会を勧めたい。私立学校もいろいろあるだろう(コメント欄を参照)。
教育には間違いが無いこと、たとえ間違いがあってもそれがすぐに正されることが理想だが、現実はそうではない。この現実への対処法を「教育」しようとする者を信じてはいけない。
この問題については,ファインマン博士のこの文章が結論。これ以上,特に議論する必要はない。議論したい方はハッシュタグ#掛算で。
問題の解決法(原文ママ)を求めるのにいちばんよい方法とは何でしょう。答えは,うまくいくならどんな方法でもよい,です。算数の教科書に求められるのは,問題を解く特定の方法を教えることではなく,むしろ,そもそもの問題が何かを教え,答えを求める方法を,できるだけ自由に考えさせることです。しかしもちろん,何が正しい答えかについては,自由が入り込む余地はありません。たとえば17と15を加える(17と15の和を導き出す方法)には,多くのやり方があるでしょう。しかし正しい答えは一つしかありません。(『ファインマンの手紙』p.635)
教科書にある問題はすべて—一年生から八年生のものまで—ふつうの大人が読んで,理解できるもであるべきだと思います。何を求めればいいのか,すべての人にわかる表現という意味です。(『ファインマンの手紙』p.645)この原則を #掛算 などの問題に適用すればいいのではないだろうか。
— Taro YABUKI (@yabuki) 2015, 5月 9
3トンの砂を積んだトラックが5台ある。砂は全部で何トンか。この問題に対して3×5=15または5×3=15として15トンと言えばよいが、どうやら3×5と5×3のどちらか一方が正しいやり方で他方は正しくないとする教え方があるらしい。私はどちらでもよいと思っているのでどちらが正しいとされているのか知らない。
(中略)
結局どちらでもよいのにどちらが正しいかを考えさせるのは余計なあるいは無駄なことををかんがえさせているわけである。だからそんなことはやめるべきである。(「掛け算の順序」『数学をいかに教えるか』p.47)
@cubic_root3 #掛算 #超算数 #初耳学 pic.twitter.com/CmMQh8qUHT
— 三乗根 (@cubic_root3) 2016年12月25日
「算数教育に関わる各団体…」を取りまとめた者です。リンクありがとうございます。
細かいことばかりですが2点。
(1) 私立学校については、私立小学校で算数を専門とする先生方が、独自の教科書を作ろうとプロジェクトを立て、教科書には至らず『なっとくワーク』という本が出ています(1~6年まであります)。3年には、「6人に4個ずつミカンを配ると全部で何個か」と同形式の文章題が入っています。
(2) 「(1つ分の数)×(いくつ分の数)」は著者(高橋氏)の独自表現と思われます。教科書でよく使われる用語は「1つ分の数」と「いくつ分」です。また小学校学習指導要領解説算数編では、「一つ分の大きさ」「幾つ分」と書かれています(前者=被乗数は分離量・連続量のいずれも可、後者=乗数は分離量に限られます)。
t.mさん
コメントありがとうございます。
コメントへの誘導を本文中に追記しました。
すみません!紹介されているご本に書かれている「かけ算の順序」って言葉の意味わかりましたか?それは「a×b=b×a」と「a×b=a×b」の違いのことなんでしょうか?
Irianさん
「a×b」と「b×a」の違いを、順序の違いと呼んでいます。
この違いは、かけ算の意味とは関係ありません。
もし「a×b」と「b×a」が同じなら「a×b=a×b」と「a×b=b×a」の区別がつかなくなりませんか?
なお紹介されているご本で話題にされている問題は文科省によると「乗法の意味の理解」にかかわるもののようですよ!
…そして通常乗法の交換法則は「a×b=a×b」ではなく「a×b=b×a」などといった式で表現されるようです。
「a×b=a×b」と「a×b=b×a」の違いは「かける順番」「かけざんの順序」などという意味のよくわからない言葉で表されているなにものかではないでしょう。前者が等号の反射律からの帰結であり後者が乗法の交換法則の表現と解釈されるようにその二つの違いは意味の違いでしょう。
「乗法の意味」とのかかわりを考えるなら「かけ算とは1あたりからいくら分を求める計算であるとし,いくら分×1あたり の順序でかくとき「1匹あたり8本の2匹分を8×2本とかく」はバツ」でしょう?そしてこのとき「a×b」と「b×a」は異なる意味をもち,なおかつ(小学校算数で教えられているように)「a×b=b×a」は成り立つ。
「掛け算の順序」ってなんですか?
Irianさん
「『6×4と4×6は同じ』と言うとき」には「6×4」と「4×6」を区別しなければなりません。しかし、その「区別」は、「『6人に4個ずつミカンを配ると全部で何個か』を式にするとき」の「6×4」と「4×6」の「区別」と同じではないでしょう。
状況がまったく違うので、どちらかにあわせる必要はありません。
ミカンの数についての考え方の違いを表現したいのでしたら、何か別の方法を使った方がいいでしょう。しかし、数学記法はすべて、考え方を表現するようにはできていないので、いろいろ大変だろうとは思います。昔から、7+5を7+3+2のように考えているのですが、そういうことを「7」と「+」と「5」だけを使う式で表現したいとは思いません。
> なお紹介されているご本で話題にされている問題は文科省によると「乗法の意味の理解」にかかわるもののようですよ!
そのとおりだと思います。
inquisitor さん
>「『6×4と4×6は同じ』と言うとき」には「6×4」と「4×6」を区別しなければなりません。しかし、その「区別」は、「『6人に4個ずつミカンを配ると全部で何個か』を式にするとき」の「6×4」と「4×6」の「区別」と同じではないでしょう。
なぜでしょうか?
「かけ算とは1あたりからいくら分を求める計算であるとし,いくら分×1あたり の順序でかくとき「a×b=b×a」が成り立つ。」
と
「かけ算とは1あたりからいくら分を求める計算であるとし,1あたり×いくら分 の順序でかくとき「a×b=b×a」が成り立つ。」
は内容的には同じでしょう。
「右から書いても左から書いてもかまわない。」
と
「。いなわまかもてい書らか左もてい書らか右」
も内容的には同じでしょう。でも
「ごっちゃにすれば。いならかわがけわ」
実際ご紹介されているご本の著者のいう「量の交換法則」は混乱しているように見えます。
意味(数学的内容)をどう記号列(式)で表現するかは数学的対象ではないでしょうけれど,算数教育の対象にはなりうるでしょう。
「√2×√3=√3×√2」が成り立つ理由がわからなければなぜ「√2×√3=√6」となるのかの理由もわからない…だとすれば「乗法の意味」の記号列による表現のしかたを学ぶことは「乗法の意味の理解」につながるでしょう。
「区別」は「乗法の意味の理解」にかかわるものではないでしょうか?
inquisitor さん
>昔から、7+5を7+3+2のように考えているのですが、
もし「7+5」と「7+3+2」の区別がつかなければ,この部分も本来の意味をもちえないでしょう?話題にされている問題はそのレベルにかかわるものと解釈しないかぎりナンセンスでしょう。ナンセンスな解釈をして「ナンセンスだ」と騒ぐのはナンセンスではないでしょうか?
Irianさん
1. 自然言語で書かれた問題を読む
2. なにか考える
3. 「6×4」あるいは「4×6」という式が出てくる
4. 計算する
1と2(便宜的に2つに分けました)で何が起こっているかはわかりません。
3での区別は可能ですが、それが1,2で起こっていることを表現しているとは思えません。
しかし、3でどちらが出てきても、その後には影響しないので安心してください。
式が書かれる前に区別する方法がわからないし、
式が書かれた後では区別する必要がないのです。
「7+5」と「7+3+2」についても同様です。
自分がどう考えているかはほんとうはよくわかりません。
ましてや、他人がどう考えるべきかなんて・・・
繰り返しますが、1と2で起こっていることを表現したいのなら、別の記法を導入した方がいいでしょう。
もし、式が出てくる前に頭の中で何が起こっているかがわかったり、
それを人に強制することができるようになったら、
すばらしいですね。