「自分の木」の下で

「自分の木」の下で (単行本)の表紙大江健三郎さんの小説を読んだことがないという人に、彼がどういう作家かということの私なりの解釈を伝えたいときに引用する挿話。エッセイ集『「自分の木」の下で』のp.13より。高熱で瀕死の状態にあった大江健三郎さんと彼の母上との間で、次のようなやりとりがあったという。

—もしあなたが死んでも、私がもう一度、産んであげるから、大丈夫。

—……けれども、その子供は、今死んでゆく僕とは違う子供でしょう?

—いいえ、同じですよ、と母はいいました。私から生まれて、あなたがいままで見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしてきたこと、それを全部新しいあなたに話してあげます。それから、いまのあなたが知っている言葉を、新しいあなたも話すことになるのだから、ふたりの子供はすっかり同じですよ。

私はなんだかよくわからないと思ってはいました。それでも本当に静かな心になって眠ることができました。

こういうことを幼い頃の記憶として語る小説家に興味を持つ人はけっこういるんじゃないかと思う。

瀕死の子供以外にも、この挿話で救われる人はいるんじゃないかとも(キリスト教原理主義者のことではない)。