太ったおばさんのために靴を磨くんだよ

サリンジャー“Franny and Zooey”より(ネタバレ注意)

4102057048村上春樹訳『フラニーとズーイ』

僕がウェイカーと一緒にまさに玄関を出て行くとき、シーモアが僕に靴をきれいに磨くようにと言ったんだ。それで僕は頭にきちゃったわけだ。スタジオの観客なんでみんなうす馬鹿だ。アナウンサーだってうす馬鹿だ。スポンサーもうす馬鹿だ。そんな連中のためにわざわざ靴を磨き立てるなんてごめんだねと、僕はシーモアに言った。それにだいたい連中の座っている位置からは僕の靴なんて見えやしないんだ。でもとにかく靴は磨くんだ、と彼は言った。おまえは太ったおばさんファット・レディーために靴を磨くんだよ、彼はそう言った。何のことを言っているのか、僕には理解できなかったけど、彼は例のあのきわめてシーモア的な表情を顔に浮かべていたので、僕は言われたとおりにした。太ったおばさんっていうのが何を意味するのか、彼は説明してくれなかったけど、それ以来番組に出るたびに、とにかく太ったおばさんのためにせっせと靴を磨いた。(p.288)

4102057021野崎孝訳『フラニーとゾーイー』

これからウェーカーといっしょに舞台に出るってときに、シーモアが靴を磨いてゆけと言ったんだよ。ぼくは怒っちゃってね。スタジオの観客なんかみんな低能だ、アナウンサーも低能だし、スポンサーも低能だ、だからそんなののために靴を磨くことなんかないって、ぼくはシーモアに言ったんだ。どっちみち、あそこに坐ってるんだから、靴なんかみんなから見えゃしないってね。シーモアは、とにかく磨いてゆけって言うんだな。『太っちょのオバサマ』のために磨いてゆけって言うんだよ。彼が何を言ってるんだかぼくには分からなかった。けど、いかにもシーモア風の表情を浮かべてたもんだからね、ぼくも言われた通りにしたんだよ。彼は『太っちょのオバサマ』って誰だかぼくには言わなかったけど、それからあと放送に出るときには、いつもぼくは『太っちょのオバサマ』のために靴を磨くことにしたんだ(p.228)