呉清源 極みの棋譜

強すぎた棋聖・呉清源さんを描いた映画。

呉清源さんについては、いろんな人がいろんなことを言っている。公式サイト(リンク切れ:http://www.go-movie.jp/)でも、川端康成「日に新たなる者」や谷崎潤一郎「メモランダム」、坂口安吾「呉清源論」なんかが紹介されていて、まあ、映画の印象もそこで書かれていることとそう違わないんだけど、まだいろいろある。

坂口安吾なんて、けっこう悪く言っているのもあったような気がするし(思い出したら追記する)、川端康成も、囲碁代表作の『名人』にはこんなことを書いている。

今の呉清源さんは、秀哉名人の修業時代のような浮世の苦労はなく、もし碁の天才が名人を越えたとしても、その個人が全体の歴史の観をなすことは、もうないであろう。(p.41)

確かに呉清源さんは、江戸時代から続く本因坊家の最後の名人のような、「囲碁」全体の歴史の観はなさないかもしれない。でも彼は、国家や宗教といった、もっと大きなもののうねりの中で個を輝かせていた。川端康成も登場しているこの映画は、引用したこの一節が表現しているよりは遙かに大きな人間を描いている。

とはいえ、「碁」を観ようと期待していくと、ちょっと残念な気持ちになるかもしれない(公式サイトの碁盤が象徴している?)

地と模様を超えるもの―趙治勲の囲碁世界

呉清源さんの碁について語られたものでは、趙治勲『地と模様を超えるもの』がとても印象に残っている。最強の棋士(タイトル数から言えば史上最強)が、その芸を言葉で語るとなれば、ノーベル賞作家も歯が立たないでしょう。

呉先生はけっして強い碁打ちではなかったかもしれない(中略)呉先生の碁は一つの悲劇かもしれません。また、「かもしれない」ですが、人生の機微にかかわるテーマなので、、断定はできかねます。人生が悲劇でなく、先生の碁そのものが悲劇なのです。(p.136)

そういえば、最近の作家はあまり碁打ちをネタにしない気がする。