亀山訳のカラマーゾフが完結

『カラマーゾフの兄弟』を最後に読んでからもう5年は経っているから、ちょうどいい頃かと思って手に取った光文社古典新訳文庫の亀山訳が、今月、やっと完結。

前に読んだ新潮文庫が全3巻約1500ページ(今売られているのは活字が大きくなっているからもう少し多いかも)、今度の亀山訳は全5巻で2000ページくらいになっている。

ゆったりしたのと引き替えに全巻揃えるコストが高くなるのを心配する必要はないと思う。そういうことを気にして読む小説ではないし、この翻訳は悪くない。

まあ、ページが増えたのは、ゆったり組んだせいだけではなくて、各巻末に付いている「読書ガイド」と第5巻に収録された訳者による「ドストエフスキーの生涯」と解題「「父」を「殺した」のはだれか」のせいでもあって、これについては評価が分かれるところだと思う。たとえば、第5巻は365ページあるが、本編は63ページで終わってて、解説・解題が残りの300ページを占めている。これって、別の本で世に問える分量だ。

まあ、そういうことを気にして読む小説でもないか。

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)

以下、毎日新聞14日の広告から亀山氏の発言を引用。

「大審問官」でいっていることはきわめて単純です。中学生でもよく理解できる。人間の歴史の根本的な一つの原理を書いているにすぎない。それは「人間はパンのみにて生きるにあらず」というテーマです。僕はこの「大審問官」を訳しながら、この問題はもう終わったという気がしたんです。ほとんどの人が、自分たちの既に経験し得た歴史として納得できるはずだ。上の世代の人たちがこれに過剰な思い入れをした時代はもう終わった。それよりむしろ、ゾシマ長老の部分ですね。人間の最大の悲劇は傲慢さにある。傲慢さを捨てよという根本的なテーマ。むしろこのテーマのほうが我々の時代には重要なんじゃないか。とりわけ、「謎の訪問客」というエピソードをじっくり読んでほしい。

これに同意できない私のような人間にとって、きっとゾシマのテーマが重要なんでしょうね

追記:新訳はスタンダードたりうるか?などという話があるらしい。