IT時代の震災と核被害

4844331140「3.11の震災で、ITは無力だった」と感じた人が、IT関係者の中にもいたそうです。ITを専門にする大学教授の中にすら、そう言う人がいたそうで、「ちょっとかわいそうだなあ」と思っていました。

巨大地震と巨大津波、原発事故。大きな天災と人災を目の当たりにして、そのような無力感を味わった人に、『IT時代の震災と核被害』(インプレスジャパン, 2011)がおすすめです。

ITで地震や津波を防ぐことはできませんし、原発を収束させることもできません(今のところは)。しかし、3.11後の日本において、ITがいかに大きなことを成し遂げてきているか、また成し遂げることが期待されているかがよくわかります。

  • グーグルは地震発生後わずか数時間で消息情報を登録・検索するためのパーソンファインダーを立ち上げました。
  • ヤフーが集約・発信した情報は、日本最大のポータルサイトという名に恥じないものでした。
  • Twitterは安否確認や情報拡散のための最強のツールの一つとして認知されました。
  • Amazonの「ほしい物リスト」は、ふつうの義援金ではカバーしにくい被災地の要求を満たすのに大きな貢献をしました(その実現を支えた運送業者も忘れてはいけません)。公共機関などの情報発信にいち早くクラウドを提供したのもAmazonです(クラウドへの移行をサポートしたボランティアも忘れてはいけません)。
  • 「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は、Amazon同様、必要なものを必要な人へ必要なだけ送ることから始まったプロジェクトですが、雇用創出や心のケアなど、物質支援の枠を超えた活動をしています。
  • Twitterは有益な情報と共にデマも拡散しましたが、情報を検証してデマを指摘する「検証屋」という人たちの活動は、「ネットの負の面」の解決を期待させるものでした。
  • Ustreamやニコニコ動画は、テレビを視聴できない地域や海外、消費電力を気にしてテレビを消した人たちに、テレビ放送を再配信して届けました。このサイマル配信は今は行われていませんが、「スカイツリーが無くてもテレビは観られる」ということを多くの人に知らしめた効果は今も残っていることでしょう。
  • 「国民がパニックになるのを恐れた」というパニクった理由で不幸にも公開が遅れたSPEEDIですが、迅速に公開できれば有用な情報源となることが後で実証されました(この知見が役立つことが将来無いことを希望しますが)。
  • 震災当日の夕方にスカイプは、日本人の全ユーザに30分相当の無料通話権を配りました。
  • 東京電力などの会見をノーカットで流し続けたIWJは、映像を流せるのはテレビ局だけではないこと、重要な映像が大手メディアによっていかに編集され切り落とされてきたかを多くの人に知らしめました。(本書では扱われていなかったかも)

「もっと多くのことができたはず」と嘆く人はしょうがないかもしれませんが、「何もできなかった」と嘆く必要はないでしょう。

しかし、こういうことが簡単に成し遂げられたと思うのは間違いです。本書を読むとわかりますが、多くのことは主に海外で発生した過去の大災害の経験を元に計画され、備えられてきたことなのです。そういう意味でも、「ITは無力」と思って生きるのではなく、「ITで何かできるはず」とふだんからそうぞうしていることが大事だと思います。

全3部からなる本書の第3部「複合震災とITの可能性」に収録された記事は、このような内容からは逸脱したものが多いのですが、津田大介さんが、

原発事故に関しては、僕自身もちろん専門家ではないので、政府が発表する情報、それに反対して危険性を訴える情報の双方を流しました。その際、原発関連情報の発信者のバックグラウンドを確認したり、情報のソースの検証には注意を払いました。(中略)「危険だ」と言い切ることはできないけど、「危険であろう」と想像することはできたので、その状況自体をおもんばかった立場から、情報を流し続けたわけです。(p. 262)

と書いているにもかかわらず、宮台信司さんは、

親の多くは内外の情報をランダムにリツイートする僕や津田大介さんのツイッターを見ていました。(p. 364)

と書いていて、「選別したの? ランダムだったの? どっち?」という感じでいきなり情報リテラシーを問われたりするのは面白かったです(「ランダムにリツイートする」は「僕」にしかかからないという解釈もあります)。ちなみに私は二人のうちの一方のツイートしか見ていませんでした。

それでも、「当面は」という条件付きで宮台さんが提唱する、

第一に、空気の支配がもたらす弊害に空気の支配によるカウンターを当てること。原発などもはやありえないとの空気を醸成することがあります。第二に、空気に縛られるがごとき習慣など今後はもはやありえないとの空気を醸成すること。

は、いい指導方針だと思いました。

空気と言えば、「海外メディア報道と日本の情報公開」の中で、著者の坂井信さんは次のように書いています。

福島第一原発事故後、日本のメディアは作業員が身を挺して危険な場所で働くことを、どこか「空気のように当たり前のこと」として報道してきたのだと思う。(中略)戦時中と類似しているのは、国土の被害状況以上に政治的空白の中で根本的な事態の解決を「現場の努力」と「若い作業員の献身」に委ねてしまうような「日本の空気」そのものではないだろうか。(p. 190)

原発の作業員がどのような状況で働いているのか、その現実に多くの人は向き合えるのか、このことについて、今後何十年も口を閉ざすことにならないかは正直不安です。

ITは何かできるでしょうか。