追悼 柳瀬尚紀 ユリシーズを燃やせ


476014731420世紀の最も重要な小説の一つと言って間違いないジョイスの『ユリシーズ』は,当初は出版すら許可されない危険な小説でした。『ユリシーズを燃やせ』で描かれているユリシーズ合法化のプロセスは,「言論の自由」が当然の今日からすると,非現実的にすら見えます。しかし,原著から何十年も経った現代でも,ユリシーズの日本語訳に関しては,おかしなことが起こっています。

4309404952ことの起こりは1996年,すでにユリシーズの翻訳の一部を河出書房から出版していた柳瀬尚紀さんが,「翻訳実践の姿勢」という文書(『翻訳は実践である』で読めます)で,集英社から出版された丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳と,朝日新聞の紙面で両者の翻訳を比較した池澤夏樹さんをコテンパンにやっつけたことだと思います。

最近では,時間の無駄だからとか,ダメなものはどうせ消えていくからとかいう理由で,他者を批判することをよしとしない風潮がありますが,柳瀬さんはそうではなく,ダメなものはダメだとはっきり言う人でした。

それで結局どうなったかというと,柳瀬さんの翻訳は,ユリシーズ全18挿話のうち,1から6と12挿話だけが出版されたところで止まったまま現在に至っています(7,8,11挿話は後で文芸誌で発表されましたが,単行本にはなっていません)。

柳瀬さんの訃報記事では,「ユリシーズ翻訳の完成を目指していた」とありますが,翻訳はすでに完成していて「出版を目指していた」のだと私は思っています。河出でも新潮でもかまわないので,出版してください,お願いします。(表紙は青,分冊でなく一冊で) 追記:ジェイムズ・ジョイス/柳瀬尚紀訳『ユリシーズ(Ⅰ・Ⅱ)』は完訳? 追記:ユリシーズ1-12(2016年12月2日発売)

4101480117英和辞典を新潮社から出版する予定だという話を聞いて楽しみにしていましたが,さすがにこれは完成してはいないでしょう。(『辞書はジョイスフル』によると)柳瀬さんが高校時代,ふとんのなかにもトイレにも持ち込んで読んだという『熟語本位英和中辞典』が,表記を現代的に改めて岩波書店から出るとのことなので,それであきらめることにします。追記:『熟語本位英和中辞典』(2016年10月26日発売)。旧版の画像PDFと新版のPDF(検索可・DRM無し)

4826900252私が柳瀬さんを知ったのは,月刊『大学への数学』でのインタビュー記事(『学問は自由だ』で読めます)でだったか『ゲーデル,エッシャー,バッハ』の訳者の一人としてだったかは,もはや思い出せないのですが,いずれにしても,「人生において大いに影響を受けた」と言えるようになりたいものです。

日本語の科学が世界を変える


4480016139松尾 義之『日本語の科学が世界を変える』(筑摩書房, 2015)

言語の違いが科学的発想の違いにつながる可能性と、日本語で科学することの利点について議論されている。サピア=ウォーフの仮説を想起させる前者についてはよくわからないが、後者はありそうなことだ。思考が言語に基づくとすれば、その限界には母国語でしか到達できないだろうからだ。アウトプットのための英語力を強化しようという政策は悪くないが、日本語で科学することを放棄してしまうと、つまらないことになるかもしれない。

三省堂国語辞典のひみつ


辞書は、ことばを写す“鏡”であります。同時に、辞書は、ことばを正す“鑑(かがみ)”であります。(三省堂国語辞典第3版序文)

4004314526鏡、つまり現実を重視する辞書の代表が『三省堂国語辞典』(三国)で、鑑、つまり規範を重視する辞書の代表が『岩波国語辞典』だというのはよく知られたことです。実際、『岩波国語辞典』の編集者であった増井元さんは、『辞書の仕事』の中で次のように書いています。

私たちは、改訂版に何か新語を収載しようとするとき、そのことばが『三国』に先んじて収録することはないと考えたものです。つまり、何か新しい語を載せるとすれば、まず『三国』が一番で、それにはしかるべきデータの裏付けがあるのだろう、ということだったのです。(p.187)

438536415Xことばはコミュニケーションの道具なので、あまり早く変化するのはよくないと、私自身は思っています。ですから、間違った言葉遣いを指摘してくれるATOKが手放せません。とはいえ、「的を得る」や「二の舞を踏む」など、「誤用」を指摘されるたびに恥ずかしい気持ちになるのも事実です。

飯間浩明『三省堂国語辞典のひみつ』(三省堂, 2014/2/13)の第2章「誤りと決めつけてはいけない」を読むと、そんな気持ちがやわらぎます。三国の編集者である著者が、2013年12月に出版された三国第7版の「ひみつ」を紹介した本です。

『舟を編む』がヒットしたころから、辞書づくりに関する書籍等が増えている気がします。(『舟を編む』が原因なのか、そういう状況で『舟を編む』がヒットしたのかはよくわかりませんが。)

4163900152テレビで放送された『ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男』や(私が視たのはネットでですが)、それを書籍化した佐々木 健一『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生』(文藝春秋, 2014)もよかったです(アマゾンでは同姓同名の2人の著者が区別されていませんね)。ここで比較されるのは、『新明解国語辞典』と『三省堂国語辞典』ですね。

国語辞書を引き比べると面白いということを、『学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方』で学んだわけですが、『岩波国語辞典』と『三省堂国語辞典』、『新明解国語辞典』と『三省堂国語辞典』の比較が特に面白いということになれば、最初の1冊は自明ですね。

三国第7版は、紙版が出てから3ヶ月経って、やっとアプリになりました。

舟を編む


4334927769三浦しをん『舟を編む』(光文社, 2011)が映画になり、DVDになりました。

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原作でも映画でも、一つのものを時間をかけてゆっくり作っていく人たちの姿には、(フィクションとはいえ)頭が下がります。

原作で印象的だった、公の団体ではなく出版社が辞書を作る理由についての、松本先生のこの台詞は使われていませんでした。(ポイントを絞って映画化するのは当然です。)

公金が投入されれば、内容に口出しされる可能性もないとは言えないでしょう。また、国家の威信をかけるからこそ、生きた思いを伝えるツールとしてではなく、権威づけと支配の道具として、言葉が位置づけられてしまうおそれもある。(中略)言葉は、言葉を生みだす心は、権威や権力とはまったく無縁な、自由なものなのです。(p.226)

「漢字」とはちょっと違いますね。学問とも?

逆に、映画だけにあった印象的な台詞は、宮﨑あおいさんの「今でしょ」でしょ。

関連:辞書を編む

489629257X追記:国家的辞典の失敗の記録:飛田良文『国立国語研究所「日本大語誌」構想の記録』(港の人, 2012)

辞書を編む


4791702352小型辞典にもいろいろ個性があることは、「学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方」を紹介したときに述べたとおりだが、『辞書の世界』収録の倉島節尚「辞書編集を巡る二、三の覚え書き」によれば、規範重視型の代表は『岩波国語辞典』で、現実重視型の代表は『三省堂国語辞典』だという(どちらもアプリあり)。

4334037380その『三省堂国語辞典』(三国)の編纂者である筆者が、2013年末完成予定の三国第7版の編纂プロセスを紹介しつつ、国語辞典のこれからについての思いを綴ったのが、飯間浩明『辞書を編む』(光文社新書, 2103)である。(参考文献リストなし。索引あり。)

本書に記した作業の後には、筆耕・構成・印刷用のデータ作成・用紙や資材の選定・装丁・印刷・製本などの工程が続きます。(p.262)

国語辞典のこれからについて考えるとき、キーワードは2つある。電子辞書とウィクショナリーだ。

電子辞書において、三国のような小型辞典が広辞苑や大辞林、大辞泉といった中型辞典(本書では大型辞典と呼ばれている)に対する優位性を保てるか、出版後の参照可能性を長時間維持できるのかといった問題に答えなければならない。前者の問題に対する著者の回答は本書の中で述べられているが(本文を参照のこと)、ほんとうにそれで大丈夫なのかはよくわからなかった。電子辞書の普及によって、小型辞典が淘汰されるということはあり得ると思う。後者の問題は出版全体に言えることで、DRM無しでうまくやる方法を確立しないとどうしようもなくなるだろう。

ウィクショナリーは、Wikiで百科事典を作ろうというウィキペディアの辞書版である。規範重視(鑑)よりは現実重視(鏡)の辞書に向いた方式だが、いずれにしても、『三国』における「中学生にでも分かる説明」というような編集方針を貫けるかどうかという点を筆者は疑っているようだ。次の指摘も深刻に受け止めたい。

小型辞典の場合、あまり多くの人で寄ってたかって作ると、「船頭多くして船山に上る」ということになりかねない。(p.29)

4046532742そういえば、『学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方』にも次のような注があった。

もともと『語彙』が、国学者を集めてみたものの議論ばかりが紛糾して何も決まらず、数年で「え」までしかいかなかったという経緯があり、『言海』はこの失敗を踏まえて、大槻文彦ひとりに委ねて、統一性のとれた言語観・文法観に基づいた辞書を作ろうという意図があったようだ(p.61)

ウィキペディア方式で辞書(ウィクショナリー)を作ろうとしても、小型辞典の中・大型辞典に対する優位性(本文を参照)はそのまま保たれるし、その点をウィキペディア方式が克服することは本質的に難しいということが示唆されている。個人的には、集合知の活用によってことばの変化が加速するのも欠点だと思う。

他の辞典への批判は慎重に避けられている。「右」を「この辞書を開いて読むとき、偶数ページのある側をいう」とした『岩波国語辞典』の画期的な語釈が電子版で訂正されていないというような話も紹介されているが(p.204)、批判というほどのものではない。「ヘップサンダル」を「映画『麗しのサブリナ』でA=ヘップバーンが履いたところからの名」(p.71)というウソを書いた辞典の名前くらい、せっかく映画を観てチェックしたのだから晒してほしいところではあった。

479421362X(愛のある)批判を読みたい向きは、石山茂利夫『国語辞書事件簿』などにあたるといいだろう。『広辞苑』のことがちょっと嫌いになるかもしれない。業界の内の人と外の人では、書けることに違いがある。

4385139261追記:2013年12月に『三省堂国語辞典 第七版』が出版された。