辞書は、ことばを写す“鏡”であります。同時に、辞書は、ことばを正す“鑑(かがみ)”であります。(三省堂国語辞典第3版序文)
鏡、つまり現実を重視する辞書の代表が『三省堂国語辞典』(三国)で、鑑、つまり規範を重視する辞書の代表が『岩波国語辞典』だというのはよく知られたことです。実際、『岩波国語辞典』の編集者であった増井元さんは、『辞書の仕事』の中で次のように書いています。
私たちは、改訂版に何か新語を収載しようとするとき、そのことばが『三国』に先んじて収録することはないと考えたものです。つまり、何か新しい語を載せるとすれば、まず『三国』が一番で、それにはしかるべきデータの裏付けがあるのだろう、ということだったのです。(p.187)
ことばはコミュニケーションの道具なので、あまり早く変化するのはよくないと、私自身は思っています。ですから、間違った言葉遣いを指摘してくれるATOKが手放せません。とはいえ、「的を得る」や「二の舞を踏む」など、「誤用」を指摘されるたびに恥ずかしい気持ちになるのも事実です。
飯間浩明『三省堂国語辞典のひみつ』(三省堂, 2014/2/13)の第2章「誤りと決めつけてはいけない」を読むと、そんな気持ちがやわらぎます。三国の編集者である著者が、2013年12月に出版された三国第7版の「ひみつ」を紹介した本です。
『舟を編む』がヒットしたころから、辞書づくりに関する書籍等が増えている気がします。(『舟を編む』が原因なのか、そういう状況で『舟を編む』がヒットしたのかはよくわかりませんが。)
テレビで放送された『ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男』や(私が視たのはネットでですが)、それを書籍化した佐々木 健一『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生』(文藝春秋, 2014)もよかったです(アマゾンでは同姓同名の2人の著者が区別されていませんね)。ここで比較されるのは、『新明解国語辞典』と『三省堂国語辞典』ですね。
国語辞書を引き比べると面白いということを、『学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方』で学んだわけですが、『岩波国語辞典』と『三省堂国語辞典』、『新明解国語辞典』と『三省堂国語辞典』の比較が特に面白いということになれば、最初の1冊は自明ですね。
三国第7版は、紙版が出てから3ヶ月経って、やっとアプリになりました。