数学とチェス


4489021860クリスティアン・ヘッセ, 鈴木俊洋訳『数学者クリスティアン・ヘッセと行くマジカルMathツアー』(東京図書, 2014)(参考文献リストあり、索引なし)に「106 数学とチェス」という項目があり、次のような局面が紹介されています。

白の手番であれば、「1:ナイトc7」で詰む。黒の手番であれば、「1:・・・ナイトc2」で詰む。(p.239)

つまり問題は、この盤面状況において白か黒のどちらのプレイヤーの手番なのかということに帰着する。(p.240)

(中略。この局面が白番なのか黒番なのかを解明するための数学的議論)

したがって、上の盤面では、必然的に黒の手番であるということになる。そして、最終的にナイト*7をc2に突入させて勝つのも黒である。(p.241)

*7 一手でつむわけではないことに注意。〔訳者〕

疑問点が2つあります。第一に、黒から詰ます手は無さそうに見えます。第二に、盤面が白黒どちらの手番なのかは決まらない気がします(この局面から始まりこの局面で終わる、つまり手番が入れ替わるような手順があります)。d2にポーンがあればいいのでしょうか。

訳者は、読者が*7をどう読むと読んでいるのか。それが読めません。

生身の人間には簡単で、コンピュータには難しいチェスの問題


4047102768羽生善治『大局観』(角川書店, 2011)(参考文献リストなし・索引なし)の「将棋とチェスの比較」という節に、次のような記述がありました。

二十世紀を代表する宇宙物理学者の一人、ロジャー・ペンローズは、著書の『皇帝の新しい心 コンピュータ・心・物理法則』で人間には簡単に認識ができて、コンピュータにはとても難しいチェスのポーンの型を紹介している。(p.196)

4062572516羽生さんが言っているのは、『皇帝の新しい心』ではなく、ペンローズ『心は量子で語れるか』(講談社, 1998)ブルーバックス版, 1999年)(参考文献リストあり・索引あり)のことだと思われます。

ペンローズは、生身の人間なら簡単にわかるにもかかわらず、Deep Thought(Deep Blueの前身)では解けなかった局面を2つ紹介しています(ブルーバックス版のp.164)。

ペンローズは、「この例は、単なる計算と理解との本質的な違いを説明している(p.166)」と書いていますが、私の手元のチェスプログラムは、瞬時に正解を見出しました。

もう一つの例では、私の手元のチェスプログラムは、ペンローズが言うとおりの間違いを犯しました。

これがペンローズの言う「直接的な計算以外に、“理解すること”によって働く別の何かが存在する(p.167)」ことの実例とは思えませんが、生身の人間がコンピュータに勝てる部分がチェスの世界に残っているとは意外でした。

将棋の強さが金で買えて、強いプレーヤーが複製できる時代


第3回電王戦が終わりました。

結果はプロ棋士側の1勝4敗で、この数字だけでは「トッププロとコンピュータの強さは同じくらい」という仮説を棄却することはできないのですが、内容まで見た人たちの一部では「コンピュータはプロ棋士より強い」という結論になっているようです。

コンピュータがトッププロよりも強くなることに関して、残念に思うことが2つあります。

4818206245残念なことの1つ目は、生身の人間に勝つ程度の将棋の強さならお金で買えるようになってしまったことです。ここで言う「買える」とは、お金を払って手に入れて、好きに使えるという意味です。囲碁棋士の趙治勲さんが『お悩み天国』で次のように書いていましたが、これは将棋にも当てはまることでした。

パソコンや携帯でやるゲームって、覚えたその瞬間に楽しめるわけですよね。モバゲーとか、グリーとかいう……僕はやったことないのですけど、球団を持てるほどに成長しちゃって。そのゲームではお金を払ってアイテムとか何とかを買えば、どんどん強くなれるわけでしょう? 碁の場合は何億円積もうともパワーをもらえない。ビルゲイツさんだって孫正義さんだって、こればっかりは無理。碁を楽しめるようになるには時聞がかかります。強くなるには世界の大天才だって数年は必要です。(p.29)

4063729877世の中にはお金では買えないものがあり、そのことを学ぶことが子どもにとって大切だと考える人は多いのではないでしょうか(南Q太『ひらけ駒!』はそういうことをうまく描いています)。実際、「お金を払えばマリオのジャンプ力が上がるというようなことはしない」というような言い方で、ゲーム会社である任天堂への信頼感が表現されることがあります。

これまで将棋は、そういうものの代表例でした。金にものを言わせてスパコンを使ってもプロには勝てないはずだったのです。しかし、パソコンがトッププロに勝ったことで、事情は大きく変わりました。金をかけて高性能のコンピュータ(例:大紅蓮丸)やクラスタを用意すれば、無制限にではありませんが、将棋の強さが手に入るのです。賞金4,200万円の竜王戦がコンピュータに解放されたら、3,000万円でクラスタの計算資源を買って優勝を目指すということもできるかもしれません。

B00JH47X2S残念なことの2つ目は、将棋の強いプレーヤーが複製できるようになってしまったことです。世界コンピュータ将棋選手権の2013年優勝ソフトBonanzaはすでにパッケージになっていますし、初代電王のPonanzaもパッケージ版PonaXとして発売されるそうです(Amazon)。世界コンピュータ将棋選手権のBonanzaはクラスタ構成だったので、パッケージを買ってきても選手権のものと同じ強さを手に入れたことにはなりませんでしたが、電王戦のPonanzaは市販されている電王戦統一採用パソコン上で動いていたので、同じ性能のパソコンがあればトッププロに勝ったプレーヤーが、より高性能のパソコンがあればさらに強いプレーヤーが家にいることになります。将棋のプロのすごさは何も変わらないのですが、希少なものをありがたがる人にとっては、将棋のプロのありがたみはなくなってしまうかもしれません。

もちろん、スパコンで動くプログラムにパソコンで動くプログラムが勝つということはあり得ますし、そのプログラムが非公開で、パッケージ販売などもされなければ、新たな伝説が始まるかもしれません。しかし、本質が変わってしまったことには変わりありません。

長い間将棋は、人間の頭で考えるという方法だけで探求されてきたので、「最適」ではない「準最適」の戦略を育ててしまっている危険があります。コンピュータを使うというこれまでとはまったく違う探求法が実用になることで、この危険を回避できるかもしれません。実際、「プロ棋士では思いつかないような手」を、プロ棋士がとがめられないという場面は何度かあったようです。(関連:アインシュテルング効果

たとえこれまでの探求が間違っていなかったとしても、コンピュータ将棋の進歩によって、特定の戦型の序盤の数手について記述するだけでも何百ページもの文書が必要な現状(例:羽生善治『変わりゆく現代将棋』)が改善されるくらいのことは期待してもいいでしょう。

ですから、将棋というゲームを知的好奇心の対象とする立場では、コンピュータが人間より強くなることには喜ばしいことです。

私もそういう立場のつもりだったのですが、こうやって改めて考えてみると、そう単純ではないと思うようになりました。多くの人は、純粋な知的好奇心の対象として将棋を楽しんでいるわけではなく、お金では買えない強さの希少性に惹かれてきたのではないでしょうか。そうだとすれば、(生身の人間と比較しての相対的な)強さが希少ではなくなったとき、将棋には何の「意味」があるのでしょう。

最善を尽くせるなら先手と後手のどちらの勝ちなのかといった、純粋に知的好奇心の対象となるような問いは残っていて、近いうちにその答えが得られるということもないでしょう。しかし、そういう問いがどれだけの人を惹きつけられるのか、私にはよくわかりません。知的好奇心という人類のリソースの奪い合いでは、数学の真理や生命の神秘のような、強力なライバルはたくさんあります。

というわけで、強さが金で買えて強いプレーヤーが複製できる時代に将棋を指すことの「意味」を、プロ棋士の方々には示してもらいたいものです。今のところ「意味」を考えられるのは人間だけのはずです。

人間に勝つような将棋プログラムを書く能力のほうは、依然お金では買えませんし、複製ももちろんできません。だからといって、子どもには将棋よりもプログラミングを教えるべきかというと、そこはちょっと慎重になった方がいいでしょう。

追記:第27回世界コンピュータ将棋選手権(2017)では、Dual Xeonのelmoが、それまで最強を誇っていたうえに、ふつうに一ヶ月借りたら1500万円と言われる計算資源を利用するPonanza Chainerを破って優勝しました(参考)。「金で買える」という表現には、少し修正が必要かもしれません。

TVドラマ「ノーコン・キッド」から見るゲーム30年史


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誰でも知っている、エポックメイキングなゲームは必ず通らなきゃダメだろう(p.157)

というわけで、私くらいの年代で、ゲーセンやファミコンで遊んだことのある人なら誰でも知っているゲームをネタにしたテレビドラマ、「ノーコンキッド」が2013年に放映されました。Blu-rayDVDにもなるみたいです。描かれたのは1996年まで。その後の「音ゲー」ブームやモンハン、携帯ゲーム、弾幕シューティング文化、「DOOM」から始まるFPS、海外の流れなどで続編を作りたいという考えもあるそうです(Blu-rayやDVDの売上次第?)。

私は第2話のドルアーガの塔の音楽で、小学生の頃の冬休みが一気にフラッシュバックしてきました。当時を知っている人は、ドラマを視ていなくても、ドラマのあらすじとドラマで描かれた時代のゲームをまとめた『TVドラマ「ノーコン・キッド」から見るゲーム30年史』を読むと、とても懐かしい気持ちになるでしょう。もっと若い人は、教養として通らなきゃダメです。

アーケードの筐体を動く状態で保存し続けるのは大変ですが、ゲームの歴史を記録することは、これからもっと難しくなるでしょう。ファミコン等のゲームはエミュレータとROMからの吸い出し(法的には問題がある)でなんとかなります。初代SimCityのようにオープンソースにすることは、記録のためにはいいのですが、ゲーム業界にとっていいかどうかはよくわかりません。オンラインゲームなんかは、20年後にドラマで扱おうとしても、プレイするのは難しいでしょう。プレイ動画を保存しておいて、俳優をCGで合成するくらいしかないかもしれません。人間のプレイヤーをAIでシミュレートできるようになるかもしれないので、とりあえず、コードはちゃんと保存しておいてもらいたいです。

各話のキータイトル紹介ページの備考欄の、今プレイするための情報を、バーチャルコンソールを中心にちょっと補足。

参考文献リストなし・索引なし

MOTHER2


MOTHER2と言えば、子どもを優しくきびしく育てようとするストーリーとタイトルから言って、母親が黒幕に違いないと思ってプレイしていたので、そうでないとわかったときにはちょっと拍子抜けでした。他にも「どせいさん=ムイシュキン公爵」だなんて思ってもみないことが仕込まれていたようですが、『マザー百科』で勉強すればよかったんですかね。このたびWii Uのバーチャルコンソールでめでたく復活したわけですが(ふっかつさい)、大人の事情はいろいろあるにせよ、3DSのほうが遊びやすかったと思います。

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