「ビリと言っても進学校でしょ」とか「受験科目が少ないから」とか皮肉を言う人がいて,私もそうかもしれないが,ビリギャルが,そういうタイプの大人にスポイルされなくてよかったと思う。子供,特に十代後半の教育において,周りの大人はどれだけのことができるのか。読者が問われるのはそういうことだ。私はまだまだ修行が足りない。
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ロボットは東大に入れるか
新井紀子『ロボットは東大に入れるか』(イースト・プレス, 2014)(参考文献リストなし・索引なし)
私、2010年に『コンピュータが仕事を奪う』という本を書いたんです。数学者として。でも、経済学者や教育学者、あるいはマスコミの人たちや政治家が、あまり深刻に受け止めてくれなかったんですね。すごくショックだった。近未来に必ず起こる危機なのに誰もまともに聞いてくれないなんて。これはまずいな、と思ったんです。
そこで考えたわけです。たとえば東大に入るロボットを作ると言って、それがある程度、たとえば東大に入らなくても大学に半分入るとか、それなりの大学に入るっていうことになったら、人は真面目に考えてくれるかもしれない。(p.219)
私はまともに聞いて、深刻に受け止め、そしてまずいな、と思っています。
細かいことをいくつか
アニメのCGを作るときに使われるソフトも、初音ミクに歌を歌わせるソフトも、みんな数学だけでできているのです。(p.43)
あるレベルで見ればそうですが、そのレベルで考えている人はあまりいないし・・・
将棋やチェスと違い、東大入試はルールを変えられます。たとえば東大入試が全部面接になると、このプロジェクトはチューリングテストへの合格を目指す人工知能の一般的なチャレンジと同じになります。その代表的なコンテストであるローブナー賞に合格したAIはまだありませんが、p.94の記述は、そういうAIがすでにあると誤解されるものになっています。
東大入試が変わらないとしても、1983年の日本史のように、「部外者がちゃんと採点できるのか」という問題があります。
入試問題とAIの関係については、ほかにもいろいろ考えさせられることがあります。いつかどこかでまとめましょう。
ロボットは恋人になり得るか、がより深刻です。
ドーナツを穴だけ残して食べる方法
大阪大学ショセキカプロジェクト『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』(大阪大学出版会, 2014)(各章に参考文献リストあり・索引なし)
第1部全5章では、教員5名がドーナツの穴だけ残して食べる方法を、第2部の全7章では、教員7名がドーナツの穴に学ぶことを論じている。
私にとってのベストは大久保邦彦教授の「法律家は黒を白と言いくるめる?」で、末弘厳太郎「嘘の効用」(青空文庫にある)などの参考文献もちゃんと読みたいと思う。その一方で、ドーナツの穴とはあまり関係なさそうな話もいくつかあった。
本書は、学生が中心となって大阪大学の知を書籍化するというプロジェクトの成果物だという。書籍自体は学際的だが、個々のソリューションはそうではない。次は、各分野の英知を集めなければ解けない問題に取り組んでみてほしい。
さて、肝心のドーナツを穴だけ残して食べる方法だが、小さい虫数十匹を、ドーナツの表面を這って食べ、食べ終わったらそこにとどまるように調教すれば、その様子を見た人の中には「穴だけ残った」と思ってくれる人がいるのではないだろうか。
すぐ役に立つ●●はすぐ役に立たなくなる
これは私の指導原理の一つです。
先日大学の先生と話していて、「そういうことは戦前から言われていたらしいですね」と言われました。この言葉の起源として、そのとき私の頭に浮かんだのは、先日「東大の教養、東工大の教養」で紹介した、池上彰『池上彰の教養のススメ』(日経BP社, 2014)の次のような記述でした。
慶應義塾大学の中興の祖といわれ、今上天皇にご進講した小泉信三は、かつて学問についてこんな言葉を残しています。
「すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる」(p.3)
橋本武さんもそういうことを言っていた気がしますが、『銀の匙』授業が始まったのは戦後なので、小泉さんのほうが古そうです。(参考:奇跡の教室—エチ先生と『銀の匙』の子どもたち)
というわけで小泉信三『読書論』(引用文献リストあり・索引なし)を読んでみたのですが、ちょっと想像と違うことが書かれていました。
先年私が慶応義塾長夜任中、今日の同大学工学部が始めて藤原工業大学として創立せられ、私は一時その学長を兼任したことがある。時の学部長は工学博士谷村豊太郎氏であったが、識見ある同氏は、よく世間の実業家方面から申し出される、すぐ役に立つ人間を造ってもらいたいという註文に対し、すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる人間だ、と応酬して、同大学において基本的理論をしっかり教え込む方針を確立した。すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなるとは至言である。同様の意味において、すぐ役に立つ本はすぐ役に立たなくなる本であるといえる。(p.12)
もの・人間・本と、すぐ役に立ってもらいたいもののバリエーションはありますが、とりあえず、小泉信三さんが起源ということではなさそうです。
東大入試問題に隠されたメッセージを読み解く
大島保彦『東大入試問題に隠されたメッセージを読み解く』(産経新聞出版, 2013)(参考文献リストなし・索引なし)
東大の入試問題には、どういう学生に入学して欲しいかはもちろん、社会へのメッセージも込められているのだというお話。そのメッセージを読み解く余裕は受験生だった当時の私にはなかったが、今なら納得できるところもある。
どういうメッセージが込められているのかは本書を読んでもらうことにして、「社会へのメッセージを込める」という姿勢を今後も続けられるかというあたりが気になった。
東大の入試問題を見て、勉強のおもしろさがわかった若者の多くはアカデミズムに行ってしまっているのだと思います。そういった若者がアカデミズムに行き、実社会に出ないところが、「東大卒が期待に応えていない」という批判になっているのかもしれません。(p.187)
アカデミズムが実社会に入るかどうかはともかく、東大生の一部がアカデミズムに行くのは確かだろう。では東大生のレベルはどうなっているかというと、
東大を目指したいと思った生徒が「東大に受かりたい」という形(目的指向型)の勉強を必死にすれば、今は、東大に合格することはできると思います。東大の敷居は20年前に比べると、間違いなく低くなっているからです。(p.182)
敷居が低くなってバラツキが大きくなることのメリットもあるだろうが、アカデミズムに行くものの平均レベルが下がるのはまずい。しばらくするとその人たちがメッセージを発する側になるのだが、そのメッセージの質が下がれば受験生のレベルが下がり、悪循環が始まるからだ。
ここ数年、「東大の入試問題も劣化しているのかもしれない」と感じることがあります。(p.187)
これが悪循環の徴候ではなく、一時的なもの(あるいは著者の気のせい)であったほしいものだ。